2006年01月25日
がんばれ友駿の馬【サンマルタンシチーの思い出】
もう10年以上も前、共同馬主クラブに入会した。
「友駿ホースクラブ」あの「○○○シチー」で有名なヤツだ。
どうしてもすぐデビューするのが欲しかったので、3歳の売れ残りを物色した。
宮本輝の「優駿」を読んでいたので、中央競馬でデビューして1勝することがいかに大変だったかを知っていた。
重賞なんか出なくていいから、しょっちゅう最終レースにでるような馬が欲しかった。
最近、職場で共同馬主やっている人がいるけど、もう、血統が派手なこと。
よくこんな良血がまわってくるもんだ、と関心する。
私の選んだパンフレットには「トウショウイレブン」産駒や「エリモタイヨー」産駒、はたまた「サクラダイオー」産駒(誰だそれわ!)などが載っていた。
とはいえ、「ノーザンダンサー」系や、あのころ売り出していた「ブラッシンググルーム」系の新進主牡馬などがいたり、(もしかすると)という期待はあった。
またサッカーボーイ産駒は人気ですでに売り切れであった。
【ユウゲキ君に決定】
あれこれ悩まずにセクレファスター産駒の血統名「ユウゲキ」(仮名ですな)にした。
当時、屑よばわりされた「ボールドルーラー」系のセクレファスターが父親だった。セクレファスターはアメリカの3冠馬セクレタリアートの子供。
これは魅力的だった。
当時のちょっと前のスターホースは
ネイティブダンサー(アメリカで21戦20勝の怪物)→ダンシングキャップ(とほほ)→オグリキャップ。
ミルリーフ(イギリスの3冠馬)→マグニチュード(とほほ)→ミホノブルボン。
隔世遺伝シリーズの次はセクレタリアートの番よ〜なんて吼えていた。
【きびしい現実】
ところが会報や、テレホンサービスで状況を知るとだんだん、コリャダメダってなってきた。同じクラブのパンフレットには有望な馬のお知らせも乗ってくる。
「おれはこの馬でダービーをとる」と奥平調教師が豪語した。というパンフレットがのっていたクラウンシチー。(うそだろ?奥平先生!)という馬がファンタストクラブで乗られてるだの迫力ある体で軽い足裁き、体高もあり、大物感十分だそうだ。
やっと「ユウゲキ」君は馬名登録をした「サンマルタンシチー」だ。
なかなかデビューの見通しはたたなかったが、ある日テレホンサービスで、「調教師がひょっこり使ってみるかということになり」という理由で4歳(今は3歳)の4月の末にデビューすることとなった。なんだその、「ひょっこり使ってみるか」ってのは。
デビューは8着。12頭立てだったから4頭も負かした。えらい。
それからさらに2戦して14頭立ての9着、14頭立ての8着、負かす頭数が増える。
ところがこの後休養にはいる。6月にだよ。
未勝利戦は11月の福島開催で終了する。
11月で未勝利を勝てなかった馬達のほとんどが競走馬を引退する。その後は「乗馬」とスポーツ新聞にはのっているが、ほんとうは「お払い箱」だろう。「300年ロマン」とかいってロマンチックなCMを当時流してはいたが、かわいそうなものだ。牧場で母親と別れたら、子馬はもう2度と母親とは会えない。競馬場で酔っ払いに罵声を浴び、ものすごい音で鞭を入れられ、泡をふきながら走らされる。
6月に休養か・・・・かわいそうなことをした。もう11月の未勝利戦で勝つのは難しい。あと1、2戦走れるかどうか。。。。。
9月にレースに復帰した。6着、7着、なんと次は5着だった。
掲示板に馬番がのった。もう十分だ。でも勝つ馬とは決定的に違う。
勝つ馬は先行して自分でレースを作れる。我がサンマルタンシチーは、後からついていってバテた馬を交わすだけ。しかもスピードが無いので、芝は難しく、ダートのしかも短距離戦になる。
さて運命の11月がやってくる。未勝利戦に登録する馬が一気に増える。除外(登録しても抽選で外れてレースにでれないこと)、除外の連続だ。
【最後の未勝利戦】
やっと登録できた。。。しかし芝のレースだった。2回除外されてやっとまわってきたのがココ。「最後のレースになります。あきらめずにがんばります」テレホンサービスまでが「勝てない」と宣言。
この「引退レース」を後楽園の場外馬券場で見る。14頭立ての9番人気でゼッケンは5番
なんだか馬にすまないという気持ちで泣けてくる。オッズを見てもぜんぜん人気がない。頭にきたので、あと酔いも手伝い、ありったけの金で単勝馬券を買う。レース場は雨で不良馬場だ。
ゲートが開いてスタートする。なんと今日は中より前にいる。いちおう勝ってもおかしくない場所。(よし、もうそれでいい。がんばりすぎだよ。お前・・)モニターがかすんでくる。
4コーナーから福島の短い直線に入る。外から伸びる。1頭、1頭を交わす。
あれ、もしかしたら、もしかするかも。
「いけ〜!!させ〜!!」後楽園の7階フロアに自分の怒声が響き渡る。
まわりが完全に引いているがかまわない。。。
もう1頭内から伸びてくる。こいつは1番人気の馬だ。もう一騎打ち、バテた馬はすでに交わしている。首の上げ下げ・・
「勝たせてくれ!勝たせてくれ!!」まわりが引いている。同行した友人はとっくに消えている。
写真判定、勝てば命が延びる。もっと走れる。。勝ってるんじゃないか。
頼む5番だ、5出ろ電光掲示板!! 神様!
表示が出る
「5」だ。
配当の払い戻しが放送される。へなへなと座り込む・・・
【その後】
その後、7歳まで走った。体が小さく、丈夫で43戦も走った。出走回数ならサイテーション(アメリカの3冠馬)とどっこい。500万クラスを勝ったときなど、同じレースにクラウンシチーが出てて10着だった。(もっともクラウンはその後、オープン馬となり、重賞を勝つのだが)全部で3勝した。
そして、引退後は中央競馬の競馬学校の馬となった。そしてある日、騎手学校の卒業生による模擬レースが行われた。これは中山競馬場の昼休みの行事だった。これに「出走」していた。レース前のファンファーレはG1のヤツだった。
泣いたよ。「おまえにG1ファンファーレだ」
競馬やってたときは、いつもメソメソしてたな。
今でもたまに、競馬をテレビで見て、友駿ホースクラブの勝負服みると応援してしまうよ。
タップダンスシチーがジャパンカップ勝ったときは「ありえねえ」と涙ぐんでいた。
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この記事へのコメント
あり金全部注ぎ込んだ未勝利戦、単勝オッズ29.5倍じゃないすか!!!
儲けましたね〜〜。
もちろん、儲けようと思って買った馬券ではないのでしょうけれど・・・。
コメント有難う御座います。
以前友駿に入会されていられたんですね
本当に、愛馬が1勝することは厳しい事を教えてくれました。
いつまで、続くか分かりませんが1頭は感動を与えてくれる愛馬がでてくれたらなぁ〜と思います。
私のシチー初出資もサンマルタンシチーとエアノースシチー
の抱き合わせ販売、からでした。
当時は裏開催の福島なんてTVでやってくれませんでしたからねぇ。
私は次の日のスポーツ紙で確認してびっくりしました。
その後もよくがんばってくれましたし、
思いで深い馬です。






